占いは参考にするだけで盲信するものじゃない

 

【投稿者コラム】

何かを始める時や、上手くいっていない時、何かに迷う時、私は大抵タロット占いのお世話になります。
友人に占える人間がいるのでその人に頼んだり、自分では簡単なトランプで代用したり、占い師さんにお願いする事はあまりないんですが、人生の時々においてお世話になっています。
友人に頼む場合は、深刻な内容の場合が多くかなり真剣に相談します。
基本的には未来がどうなるか、より、今どうするべきかを見てもらって、今出来ることを模索するといった感じでしょうか。
中には感情的に承服しがたい内容や厳しい内容が出ることもあり、その場合は自分の出来る限りの範囲で行うことにしています。
あえて、指針であり、言いなりになる事は避けたいからです。
○○しなければ不幸になる、なんて、たまに別の占いで見かけますが、果たしてその人の指す不幸とはどういった定義の物なのかと疑問に思います。
極端な話し、それをしなかったせいで事故で死んでしまったとして、もし言われた通りにして生き残った後、今死ぬより遥かに苦しんで死ぬとしたら、どちらが不幸だと思うでしょうか。
勿論、生き延びて幸せな余生を送り、安らかな最後を迎えるかもしれません。
可能性は常に未知数です。
ですが、その時の占いのみが人生の全てを決めるものではなく、一言に『不幸』と言っても大局を捉える必要性はあると思います。
誰かが不幸だと思うその出来事が未来のチャンスに繋がる可能性もあり、本人に起きたことを利益に繋げる意思があるのなら、それは決して不幸ではありません。
人間、生きていればいい事も悪い事もあるのは当然で、悪い事を避けるのではなく、被害を最小限に留める努力、それを未来に生かす方法こそ大切だと私は考えます。
ですので、友人の占いでも自分の納得出来ない要求は聞き入れません。未来とは基本的に流動的に変化し、常に1つではありません。言われた事を守っていたからといって、車に轢かれるリスクを、包丁で手を切るリスクをどれだけ下げられるでしょうか。
それを下げることが出来るのはやはり、自分の意識なのだと思います。
交差点や狭い路地は注意する。疲れているなら怪我をする前に休息を取る。当たり前の事ですが、何か大変な事が起こったり、心配事があったりすると出来なくなってしまうこともあります。
そこに注意喚起として一言助言をくれるものこそ、私が必要としている占いです。
いい結果が出たからと言って、その道で苦労しないなんて誰も言ってませんし、やる、やらないを決めて、最終的に自分の人生の責任を取るのは自分自身ですから、結果は結果として、どう使うかは私の自由。
背中を押してもらう支えにしたり、慎重に行動する為の助言にしたり、付き合わない方がいいと出た人とどうしても繋がっていたい場合は、茨の道だと覚悟する為の決心材料としてみたり。自分が納得して進む為の道標として助けてもらっています。
時々、運命に逆らってやる!負けるもんか!みたいな闘志が漲る事もありますよ。
肝心なのは、結果におんぶにだっこして自己責任を放り出す事ではなく、結果を踏まえた上で更に考慮する意識を手放さない事だと思います。
じゃないと「あんたがいいって言ったから」なんて、自己責任を放棄して他人に責任を擦り付けるような惨めなセリフを口にする事になりかねません。
その人を信じると決めたのも自分、言いなりなったのも自分。結局全部自己責任なんですから、全部自分のせいです。
占いは自分の行く道の舵を手放し、他人に依存する為の逃げ道ではありません。
誰かにもたれたい時は、占いよりも友人かカウンセラーに話しをした方がいいと思います。